空集合日記

何でもない日の日記と独りごと

子どもの頃のインターネットとメール

兄の影響で、比較的幼い頃からパソコンにハマっていた。当時周りにはネットで遊ぶ友達はあまりいなくて、ネットのことを話せる人はクラスに1人いるかいないかという感じだった。(今の小学校では180度変わっていると思うので、年代によっては全く共感を得られなさそう。これは20年近く前の話)

 

明確にインターネットにハマったのは小学校中学年のときで、兄からハンゲームなどのサイトを最初に教えてもらったときに「無料でなんでもできるし,人生これで充分だ.」みたいなことを思った記憶がある。そこからはPC漬けの毎日で、夏の自由研究はWordでレポートを作ってみたり(最近家で発見したのだが普通にイタすぎて読めなかった)、お年玉は全部ウェブマネーにかえてアバターに溶かしたりするような幼少期だった。ちなみにインターネットには興味があったもののパソコンの仕組みといったことについては興味はなかった。

その後もきっと大体は兄の影響というか真似事で、一緒に色々なゲームをやったり自分専用のアカウントを作ったりして一人で遊んでいた。シフトアップネット、Vectorフリーゲームメイプルストーリーリヴリーアイランド、童話王国あたりはすぐに思い出される超懐かしい記憶。

Vectorフリーソフトの中だと「うみのなかまたち」というゲームが特に面白くて、PCを始めたてのときに無限にプレイしていた(ハンゲームよりもこちらが先だったかもしれない)。どうでもいいけど数年前、自分が大学院生だったときにふとこのことを思い出して作品名を検索してみたことがあるのだが、開発者が学生時代最後の夏休みに作ったものである、ということが書いてあった。それを知った時は自分の幼少期に強烈な影響を与えたゲームが年下の人によって生み出されていた事実と、まだ何の成果も出していない大学院生の自分を比べて落ち込んだ。

ゲームだけでなく、自分の服とかも一人で楽天市場の激安のものを探して買ったりしていて、生活のいろいろな部分がネットの出来事だったりネットから仕入れたものに根ざしていた。決済のときなどは流石に親の助けを借りていたと思うけど、とにかく「インターネットさえあれば,子供であっても何でも得られるし独りでやっていける.」という感覚が心地よかった。

 

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何故このようなことを思い出したのかというと、中学時代に使っていたYahooメールのアカウントにたまたまログインして何気なく送信箱をクリックしたら、過去に自分から送信された古のメール達を見つけてしまったから。そのときに、当時の友達とのやり取りなどは見ていて別に何とも思わなかったのだが、リア友以外の第三者に送っていたメールの書き方のマナーが想像の2億倍くらい酷かった。

例えば楽天市場のショップへの問い合わせメールなどが残っていて、まず自分の名前を名乗っていない。当然挨拶文もないし、口語的な砕けすぎた表現を使いすぎているし(文頭に「えと、」と書いてあったりして感情を失った)、文章全体として分かりにくい。作文は今でも下手だけど。

社会のことを知らないとここまで失礼で分かりにくい文章を平然と書いてしまうのか、という良い勉強になった。

 

「インターネットさえあれば何でも得られる」と書いたが、これは多くの場合間違っている。PCを開いても基本的には自分が見ようとしている景色しか見ることができない。もし昨日の自分より賢くなったと思ったとしても、それは0が0.9、0.99、0.999となっていくようなもので、半径1の円の外側に行くことは難しい。

それがそうだと自覚できていれば良いけど、自分の場合は極端に錯覚していた。

 

もう一度子どもの頃を思い返すと、親はインターネットには詳しくなかったしそもそも親の言うことに耳を貸したくないという反抗期的な気持ちもあったので、社会常識とかライフスタイルについてはネットから我流で会得した部分が少なくなかった。

結構それは周囲との差が生まれた部分だと思っていて、別にそれによって何か重大なことがあった訳ではないけれど、いま振り返ると学生時代は視野が狭かったなと感じることが多い。また、いまなんとか社会人プレイができているのも家族含め身近な人達のお陰だなと思っている。

 

大人からいろいろなものを薦められるのと、自己流でいろいろなものを掴むのとではだいぶ生き方に違いが出そうだなと思う。どちらが良いかという訳でもなく、みんな置かれた環境に強く影響を受けながら生きているんだろうな、とただそれだけのことを思った。